ushi_ha_ukeの日記

ハンバーグくんの日記です

オタク 悩む

躁鬱の鬱注意(注意喚起が最悪)


二次創作オタク人生は長いというわけじゃないけど短かくもない方だと思う。はじめての二次創作は小説だった。中学三年生の頃、友達がサイトを開いていて、それがとてもカッコよかったので小説どころがまともな文章一つ書いたことないくせに形だけサイトを作って、何となく湧いてきた萌えで小説を書いた。学パロも冒頭だけ書いた事がある。しばらく放置していたら友達に「あの学パロすごく萌えたよ!」と言われてとても嬉しくなって、続きを書こうとしたけど、本当に書きたい!と思うようなストーリーは思い浮かばなかった。流れ的にこういう展開になるだろうな〜なんて自分でも萌えてないまま学パロ第2話を書いてはみたけど、やっぱり上手くいかなくて、サイトを移転するときにその学パロはこっそり過去ログからリンクを外した。他にも長編はいくつか書こうとしたけれど、完結させた事は一度もない。冒頭だけ書いて情熱が霧散してしまう事が多かった。小説の書き方を説明してくれるサイトにはプロットが必要だとあったけど、プロットはまず書かなかったし、書いても結局話が脱線した

けれどサイトに訪ねてきてくれる人も多かった。リクエストを募集すれば10件くらいきたし、Web拍手コメントは二週間に一回は来ていたと思う。ナノのWeb拍手コメントが来た時 管理ページに表示されるオレンジ色のnew!という文字が、何よりも楽しみだった。あと、二次創作サイトを始める前から見ていた大好きなサイト管理人さんがリンクページに私のサイトを追加していたのを知った時は、涙が出るほど嬉しかった。小説はキャラ崩壊も甚だしくて、単なる私の心の内をキャラクターに喋らせているような小説しか書けていなかったけど、今では思いつかないような発想と情熱も確かにあったと思う。何より本当に大好きな気持ちはあったし、毎日毎日悩んだりネタを思いついたりする事が楽しかったし、国語の授業で私の考える筆者の心情が全て合っていて、グループ発表でも私の意見は鋭く的を得ていたので、自信満々だった。この時は今のように開き直れていないので、誰にも言わずに自分の事を頭が良い人間だと思っていた。この時にプロットをちゃんとたてて、自己投影ではないそのキャラクターとしての心情を考えて書けていれば、今とは違う二次創作が出来ていたのかもしれない。

深夜三時だからってどんよりすぎん?そろそろ陰鬱過ぎて陽気になってきた。

小説サイトはとても楽しかったし、やっぱり今も私はナノのWeb拍手コメントを求めていて、それがツイッターの「いいね」なのだと思う。ただ愚痴を言うのではなくて、読んでくれる人の為にどうせならちょっと面白おかしくしたいと思っている。自分のツイートはいつも面白くさせようとしている。ただヘコんでいる時も我慢はするけど結局ツイッターでウダウダと書いてしまうタイプなので、その事実にもヘコんだりする。ヘコんでいることをツイートしてどうして欲しいの?という意見は納得だけど、ツイートして整理したいのだと思う。じゃあツイートしないでメモに書けよという話なんだけど、あわよくばよしよししてもらいたいんだと思う。というかあわよくばヨシヨシしてもらいたい!(断言すな)

心の広い人間でありたいと思っていたけど、今までの人生で心が広かった事なんて無かったと思う。え?ネガティブすぎん? 心が広いというただ単に怒り方が分からないだけだ。怒った後どんな態度でいれば良いか分からないし、雰囲気をブチ壊してその責任を負う位ならば、胸の中にモヤモヤさせながら口パクでハァ?って言う方が楽でずっとそうやってきたから。

ツイッターのオタクの世界は生きにくいと思う。サイト時代はごく僅かな自分の好きなジャンルの人と拍手コメントや掲示板がほとんど全てで、だから他人の目など気にせずいられた(持論)
もちろんツイッターは楽しいし、好きだけど、勝手な自意識で、やれる事が狭くなってしまった。自意識過剰が過ぎるところがあって、そんな所が自分でももう堪らない。もう学パロは書けないし、ラスボスに魅入られちゃう受けの話も茶化し無しには書けないと思う。原作を大きく捻じ曲げた小説とかも書けないと思う。何が怖いのか分からないし、自分が本当に書きたいものは何なのかも分からない。何より自分のつくる絵や小説の何が良いのか分からなかった。満足感はあるし情熱も注いでいるはずなのに、出来上がる作品は誰を書いても同じようなもので、描きたいと思って描いたはずなのに毎回憂鬱になって終えるのだ。何が楽しいのだろう どうしたら良いのだろう。こういうものが描きたいとパソコンを開いた時まではちゃんとあったはずなのに、いざ作ろうとすると何もなくなっているのだ。だからいつもUみたいな輪郭を描いて、バランスをとって・みたいな目を描いて、3パーツくらいの中から口を描いて、覚えているキャラの髪型を描く。可愛いとは思うけど、だから何?という思いで胸がいっぱいになる時がある。同じような棒立ちにラケットを持たせただけの絵を何枚も描いて、申し訳ないと思った。本当に好きな気持ちはあるのに、どう見たってそれを昇華させられるほどの技量と向上心が絶望的に欠けていた。何年も描けば上手くなると思っていた絵は、何年描いても本質は変わらないで、ただ繕う小技だけが増えただけで、笑顔も照れた顔も怒った顔もただのパーツを変えただけに過ぎず それは好きなキャラクターではなく、好きなキャラクターに見た目を寄せただけの 感情の無いmixiアバターだった。

VOCALOIDも聴いてるしUTAUも聴いてるし、実は初音ミク×重音テトのカップリングが好きだし、ニコニコ動画に入り浸っているし、カゲロウプロジェクトも結構好きだし、UTAUもMMDもダウンロードまでして作ろうとしたことがある。RPGツクールでゲームを作ってみたいし、同人即売会でファンですとか言われたいし、痩せたいし…みたいな所がある。何を恥ずかしがっているのかも恐れているのかも分からない。好きなものは好きで仕方がないし、それを否定する人間の方がどう見たってバカなのに、好きと言えないし、自分も人の好きなものを平気で否定したりしてしまう。

小説もこんな感じで、脳内に浮かんだ文字をただダラダラと書き連ねるだけのじっとりした奴しか書けない。練習すれば上手くなるのかもしれないけど、染み付いた地の雰囲気は変えられないと思う。サイト時代に明るいほのぼの系小説を5人くらいキャラ指名されてリクエストされた事がある。書けなかったかすら記憶に無い。ただ本来書きたいものは書けなかったことは分かる。

いつか好きな絵を描けるようになれば良いと思う。漫画も描いてみたい。ちゃんとそのキャラクターだからこその思考回路や行動を考えたい。きっと無理だと思う。どうしたってぜんぶ私の思考になってしまうと思う。私の思考や行動そのものが練られていないものだから、どうしても絵には移らないのだと思う。繊細な感情表現がある作品が大好きで、仲間を信じる気持ちやなかよぴな関係が大好きなのに、現実はバイト先の人と怖くて心を許せなくて仲良くしたくなくて、夢を語るキャラが大好きなのに私自身は夢も持ち合わせていなく、だからそのキャラクターの心情を納得いくように妄想できないのだと思う。ただイベントに参加してキラキラの人を見て心をキラキラにするのは本当に好きで、心がイキイキするし、友達やフォロワーと話すのも心が潤うように楽しい。
自分一人じゃ何をやっても上手くいかないけど、それでもやっぱり絵を描いたりするのは楽しいし、人の作品を見るのも好きだ。本当は自分も人の心を動かせるような物を作ってみたいし、Web拍手だってされたい。だけど今の私が作るものでは、自分が認められないのだと思う。モラトリアムに雁字搦めになっている。そして方向性も出てない面白くないブログを持て余す(公開すな!) そしてこのブログも当然のように清書もプロットも何一つしてない(成長せず)